昭和40年03月15日 夜の御理解
今日、丁度12時私が下がろうとしておる時でしたから、森部の高山さんが親子連れでお礼に出てみえられましてから、本当にあの、2、3日前参ってみえられたんですよ。本当に広大なおかげを頂いて、実は2、3日前にお参りさせて頂いた時には、英機が飯塚のほうへあの、トラックでまいりよりました途中でですね、確かに甘木まではあったち。その甘木からどの辺まで、いった時にその、気がついたところが、運転免許をその落としておるわけです。
それでその事の、お願いに参りましてから、あんまりお願いする事が多御座いましたもんじゃから、そのかんじんなことを忘れてから、帰りがけ、バスに乗ってから思い出したというわけなんですね。本当にもう、神様がその事はもうよかと、お届けせんでもいいと、もうお取次ぎを下さったものだと、言う様な気持ちで、帰らせて頂きましたら、おかげ頂きましてから、
昨日でございましてから、この確かにあれからあの辺までじゃけんで探しに行こうと言うてから、自分ところの運転手を連れてきてから、探してまいりましたそうです。ところが甘木のちょっと手前でですね、その自動車がエンコしてから止まってしまった。というんです。ね。だから仕方なしに下りてその運転手がどうかやってるから、その間ちょっとこうやってからその道のあぜくり所を見たところがですね、自分の運転免許がその草むらの中に落ちとったち。
そしてその空のその、あの、入れ物ですたいね、それだけが無いち。だから、その入れ物だけをとって、免許証だけを捨てとったち。それがですね、確かに甘木まであったというのですからね。だから、甘木で向うで拾うた人がですね、やっぱその辺までは持って来てそして、その中だけ捨てて、入れ物だけ受けたというわけなんです。あの入れ物だけは持って行っておる。
しかも丁度その横で、エンコして止まるなんて帰って来てから、「お母さん広大なおかげを頂いたばい」ちいうてからその帰ってきたというわけなんです。ね。もう本当にどうすることもいらんち。エンコしたところでそこの、しかもそれはもちろん見ただけじゃ分からん道の上じゃないから、こう捨てとるとじゃけん、そのあぜくりの草むらの中に、免許証だけがあったっち。ね。
本当に広大なおかげを頂きましたがですたい、ね、昨日それを頂いて帰ってからその、まあ、お礼が遅くなりましたけれども、その事で大変おかげを頂きましたというてその、お届けをされたのです。昨日、ちょっと、あそこ、英機さんがお嫁さんをもらいますので、その、色々な準備で大あらわなんです。夕ご飯の時にその事から色々右が良いの左が良いのでとうとう、赤白合戦のようになってあなたもう、終始がつかんようになってしまったというわけなんですね。
縁についております、娘さん達までも丁度きておりましたもんですからもう、赤組白組と言う風に分かれてそのあれしたしゅう訳なんです。ところがですね、ついこの頃一週間ばかり前もです、その丸々に来ましたその、運転手が今あの山の石出しをやっている、あの開墾をやってます。ですからあの大きな庭石になるような、石をああその、ブロックていうですかね、吊ってその出しよる。こうだから三脚に組んだ、何かが石を吊るのがあるんですね。それの下敷きになった。
ところがもう本当にもう、何とか重と書いたっちゃ、英機が帰ってまいりましてから、その人の名前見てから、今日はお母さんあれがもう広大なおかげを頂いて命拾いをしたち言うて帰ってきたち。ね、そういうようなおかげを頂き、今度はまた、どげん誰がなんというてもですたい、その、英機は自分でそのことをお願いに参っとるもんじゃけん、お母さんがお願いに行ってくれとったからとこう言うわけなんです。
実際私は忘れておったち云う訳。肝心要のその事は忘れておった。けれども帰りにですね、はあもうそのことはもう神が引き受けた言うて下さったという気がいたしましたもんですから、帰らせて頂いた。どんなに考えても不思議でしょう。ね、確かこの辺じゃったじゃろうと止めたとならいざ知らずですね、全然違うところへ、エンコして止まった。検討違いのところへ。ところが拾った人がその、拾うてそれをそこまで持って来てしかも中身だけを捨ててその入れ物だけは持っていっとったと。ね。
それであの、高山さんがその事、いろいろもうとにかく、その終始がつかんようになったから、それでもあんた、この問題は一番初めから、親先生のお取次を頂いてお願いをしたことじゃろうがのと。この頃こと何々さんが命拾いをしたことだって、今日あんたがそのバス券のじゃない、その、運転免許のそれが出て来たということだって、とてもどげん考えたっちゃ、家の場合は。神様のご守護の中にあるという事を、もう一分一厘間違いない働きで、見せて頂いたばっかりじゃないのと。
これがおかげにならんはずがあるもんのち、云うたもんじゃから、それっきりだそうです。ほんなこっじゃんの、なぁにんならんごつに、こげな赤白合戦のごと、やあやあ言うちから、本当に信心ちゃ有り難いのおやで、すんだでこう云われたのです。私はね、お互いの家庭というものが、信心をさせて頂いておる家庭は、やはり様々なことがあってもいいと思うのですね。
場合にはそれは白赤に分かれて意見が対立するということがあってもいいんだけれども、一度その事が燃えあがってです、よくよく考えよったらそればってん、おかげじゃったのとこういえれれる、何にも無いためにどうしても神様のそうした身近なお働きを頂いておる、いけれるだけの信心が日頃なされておらなければいけないと言う事。昨夜休む、12時過ぎでございましたが、最近は名実ともに豊美が勝手のほうは、そのにぎって責任を持って御用を頂いてくれます。
もうそれこそ、晩はきれいにしてその休むわけなんですけれども、最後まで残っておかげを頂きますと、ところがね、その、寝がけにお父さんもう、私はここに降りてから恐ろしいごとある事感ずる事はですね、前の晩に間違いながら休ませて頂いたらもうねずみがあそこにもう、一杯いろんなものをひっちらかしてから、いろんなもん倒しておったりこぼしとったりしてその、暴れとるちいうです。
ご神飯時には起きてくると。ところが本当に、今日もおかげを頂いてありがとうございましたというて、あの炊事場でお礼を言うて二階に上がって休ませて頂いた時には、もうあくる日にはもうこれこそ、コトっと言わせとらんじゃろうという状態だったとこういうわけなんです。有り難いなあと私思うのです最近。もう、そういう意味合いにおいてからその極端ですから、神様から叩かれる事も激しいけれども。
神様を身近に頂くことも誰よりかもう家内あたりではかなわんと言う位に、ここん所をはっきり神様、生きた神様を現していけれる、と私は思うのですけれども。最近豊美が書いてから壁にあの貼っております。「実意な心 実意な言葉、実意な態度。実意とはわがまま、横着な、心の無い心を実意というのです」ということをあそこに、自分で書いてそれ一杯に張ってあるわけです。
本当に「実意な言葉、実意な態度、もちろんそれに実意な心」。そして、自分がわがままを自分が横着をしておる、実意を欠いた事をしておる時にはです、これは自分は実意じゃないなと、あれを見ただけでも分かるんですけれども、最近ここ3,4日私は感じる事ですけれども、この頃豊美が少し態度がまた荒なったなと。大体が荒いですから。物言いがちょっと悪くなったなと。
態度が悪くなったなと。と私は思わせて頂くのですけれども。だからまあそれは、悪なってもよか、荒れても良いと思うのですけれども、高山さんじゃないけれども、ね、例えば夕食の時くらい、一日反省してから本当にどれだけ実意な言葉、実意な態度、実意な心でここで御用を頂いただろうか。または兄弟達にでも、またはあその、あそこで一緒にお食事をさせて頂くものがです。
その事を反省しあうような、おかげを頂いたら本当にそれが身に付いて来るのではなかろうかと。性分があらあらしかってもです、いつの間にか実意丁寧な態度に言葉使いに又もちろん心まで、おかげを頂くのではないだろうかと言う様な事を私は今日感じたのです。そしてそこに生々とした神様をです、例えば豊美がその実感をしておりますような、実感を持って、体験をさせて頂いたらデスどう言う様な場合でもです。
その事を思うただけでも、一切が解決するような、おかげになってくりゃせんだろうかとこう思うです。お互いの家庭にもやはり赤と白と対立をするので御座いましょうが、ね、ああもこうもと本当に自分の感情ででも言いたい時がありましょうが、ね、それを私は例えば毎晩なら毎晩事はいらんですけれども、時々は、ね、神様の間違いなさ、こういう間違いのない働きの中にあるのだから。
間違いはないおかげだとこう皆が言い合えるような雰囲気を時々作っていったら、いよいよその一家の上に生きた神様の働きがいよいよ頂けれるようになるのだと私は思います。ね。ためにはまず何と言うてもです、本当にお取次ぎを頂いて、ね、神様の間違いなさを身近に見たり感じたりして、自分が行かなければそん時に役に立ちません。こう例えば難儀に直面した場合でもそうです。
本当にああいう働きを頂けれる神様を頂いておるじゃないか、お願いをしておるじゃないか、お取次ぎを願っておるじゃないかと、そしてこれなんだ。神様のご都合に違いはないという、安心も生まれりゃ又進んでいく元気な心もそこからついてくりゃせんかとこう思うのです。私はついてくると信じる。だからせっかく頂くならそこまで神様を頂き、しかも現していかなければならないと思うですね。
おかげを頂かなければいけません。